2008年11月23日
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下高井戸5丁目で考える下高井戸の本質・それは宿場町ではなく農業地域か?

Written By: 川俣 晶連絡先

 「北沢分水の存在意義によって、環八付近の世田谷区突出部分の謎が解けるか?」の話題の続きです。

 下高井戸と上高井戸の間に、上北沢が食い込んでいる場所があります。

 食い込み部分の地図を再掲します。


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 上記の文章では、上北沢側がその地域を欲しがる理由が存在する可能性を考えましたが、それとは別に、下高井戸側がその地域を欲しがらない理由もあることに気付きました。

一般的なイメージとしての下高井戸 §

 一般的なイメージとして見た場合、下高井戸とは以下のような存在です。

  • 甲州街道が通過し、宿場町が存在した交通の要衝
  • それに伴って古くから商業地が発達している
  • 神田川に沿って農業が行われていた
  • 関東大震災以後、住宅地として性格も持つようになった
  • 近年は都心に近いことから高級住宅街としての性格も持つようになった

 このことは、以下のような特徴をもたらします。

  • 比較的新しい道路(環八等)や郊外に見られる大規模駐車場を備えた大規模店舗があまり見られない

 たとえば、比較的新しい道路である環七や環八沿いにはドンキホーテやヤマダ電機のような大規模店舗が見られますが、古い道路である甲州街道沿いにはあまり見られません。古い道路に沿った古い商業地という下高井戸の特質から来る必然です。

 ……という思い込みは、5丁目まで行くと裏切られます。

 5丁目には、スーパーバリューという大規模駐車場を備えた大規模店舗が存在するからです。それは、玉川上水跡地に作られた放射5号線という比較的新しい道路に沿って存在します。この道路の上には首都高速4号線があり、中央高速との接続のために作られた道路網の一部を構成します。まさに、自動車時代が到来した後に成立した、戦後世代の道路です。

古くからの商業地は下高井戸の本質ではない §

 とすれば、「古くからの商業地」という特徴は、なんら下高井戸という土地を規定する本質ではないことになります。

 では、いったい何が本質なのか。

 甲州街道から放射5号線に沿って歩くと、途中でムードが変わります。しかし、神田川沿いに歩くとあまりムードが変わりません。つまり、神田川と下高井戸の関係性は5丁目に至っても均一に感じられるのです。

 とすればやはり本質は「神田川」との関係性にあると考えて良いのでしょう。

 神田川の水を使った農業と、もしかしたら水運が下高井戸という地域を規定する本質なのでしょう。

境界線が甲州街道から離れる理由 §

 とすれば、下高井戸の境界線が5丁目では甲州街道から離れていくのは何ら不思議なことではありません。神田川が大きく北に向かう以上、下高井戸という土地も北に延びるのが必然だからです。下高井戸が求めたものは、あくまで神田川沿いの低地なのでしょう。

 そこから逆に考えれば、上北沢が食い込んでいる地域は、下高井戸側が積極的に明け渡して構わない土地であるとも言えます。

そして新たに浮上する謎 §

 実はこの件で地図を見ているときに気付きました。

 放射5号線を挟んだ5丁目の南西側は、実は上高井戸3丁目なのです。つまり、この部分に限って言えば、上高井戸と下高井戸の間に細長く上高井戸が食い込んできているのです。また新たな境界線問題が……。

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